風来ガール、なんか書く。

分人主義

色々考えていたことを書き留めておかないとこぼれ落ちていってしまう気がして、下書きのままにして書き進めていなかった色々を記事にしてみようと開いてみた1つめがこれだった。インターン先の方から勧められていた「私とは何か」を読んで印象的だったことを書き留めたメモが出てきたので文章にしてみようと思う。

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「個人」から「分人」へというサブタイトルにあるように、この本のテーマは「分人主義」。個人 (individual) は分けられない。体は1つで、その体に ”風来ガール” とか名前がついている。でも本当にそうなんだろうか?体は分けられないかもしれないけど、人格って完全なる1つのものなのだろうか。同じ「わたし」でも場所や状況によっていろんな「わたし」の姿があるよね。その色んな「わたし」の1つ1つを分けられる人、つまり分人 (dividual) としてみたらどうだろうか、という話をしている。著者の方が小説家であり、「ひと」を描く上で色々と考えた内容などが例として出てくるのが面白い。私はあまり小説を読む人ではないのだけれど、この本を読んでから小説が読みたくなった。

では印象的だった (と過去のわたしが書き留めていたところ) を振り返ってみる。 

p.46 大学時代、私が人から訊かれて一番苦痛だったのが、「将来、何になりたいの?」という質問だった。

ここを書き留めたのは、自分が強く共感するところがあったからだろうと思う。この本を読んでいたタイミングでたしかこういうことをよく考えていた。自分がやりたいことがあって前に進もうとしている人たちを見ると焦りみたいなものを感じたり、まだ自分を白紙の状態で置いておきたいのに「何したいの?」ときかれるとそれっぽい夢みたいなものを描かないといけない気がして疲れてたりしていた時期だったから、こういうことを書き留めていたのかも。このフレーズの下に「山登り型の人生、川下り型の人生」というメモ書きもあった。これはある人に教えてもらった考えかたで面白いなーと思った言葉。山登り型の人生は1つのゴールがあって、それに向かっていくためにどうすればいいか目標を立てながら上に登っていくスタイル。川下り型の人生はゴールの地点は明確に決まっていないけど、流れていけばいずれ海に流れ出るんだろうくらいざっくりで、その間いろんな道を通りながら、流れに身を任せながら、でもゴールには向かっていくというスタイル。目標をもて、やりたいことを成せ、みたいなことを言われると心地悪くなるという話をしたら、あなたは川下り型なんじゃないと言われて、なんかそのときすごく腑に落ちたのを覚えている。

p. 98 私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にある。というより、他者との相互作用の中にしかない。

これは多分面白かったから書き留めたんだと思う。え、そうじゃん!って思ったんだと思う。関係性の中で生まれるのが分人というのが面白かった。一緒にいる人が変われば出てくる私の姿も変わる。一人でいるとしても何らかの出来事で心が動いてリアクションが出るわけで、私が何かとの関係を築くからこそ出てくる分人がある、というのがすごくしっくりきたので書き留めたのだと思う。

とても面白く読んだ本だった。話す相手や状況が変わるときに自分のあり方が変わると、ずっと同じであれない自分を否定してしまうときがあったけど、話している相手が違うんだから起こるリアクションが違うのも当たり前だよな、という、すごく当たり前だけど言葉にしていないから認識できていなかったところを言葉にしてくれていて、すうーーっと入ってく感覚があって嬉しくなった。今この状況が楽しいのはなんでだ?もやもやするのはなんでだ?どの言葉に今感動しているんだ?どの言葉に心地悪さを感じているんだ?と自分がどの人や言葉に対して、どんなリアクションをしているのかを観察するようになった理由の1つはこの本かなーと、この文を書きながら考えてた。