風来ガール、なんか書く。

3月11日

これはブログに書き留めておきたいな、と思って携帯にメモはとっていたけど、書けていかなかったことを今更ながらに記事にしてみる。
 

先日書いたように、今は北海道に来ている。出雲から北海道へ行くには東京で乗り換えが必要だ。私は東京で1泊することにしていたので、3月12日に北海道で到着するために3月11日のお昼の飛行機で出雲から東京へ向かった。出発のために朝パッキングをしながら、「10年前の今は誰もあんなことになるって思ってなかったんだね」と父に言った。「そうだね」と父は言った。

 
10年前のことはよく覚えている。私は当時中学2年生。韓国の中学に通っていた。帰ってくると寄宿舎で放送があって、日本で大きな地震がありました。関東~東北に親御さんがいる学生は連絡をしてください、と先生の声が響いた。
 
地震か、よくあることだし。と思って私は気にもとめなかった。でもなんだか本当に大変なことになっているらしいと聞いて心配になって家族に電話をしたら繋がらなかった。何度かけても繋がらなかった。怖くなってパソコンでメールを確認したらメールが届いていた。
地震すごかったよ。仕事場はぐちゃぐちゃ。でも無事だよ。しばらくは復旧でたいへん。東北ではすごいことになってるみたい。
無事でよかったよ。
今、電話してたんだけど、つながらなかったから・・・。
仕事場の復旧がんばってね。
震度6とかだから、すごいぐちゃぐちゃだろうね・・・。
そして夕方6時。夕食を食べに食堂へ降りていったら、NHK津波に飲み込まれる町の映像が映っていた。本当の津波の映像を見たことなんてなかったから、見てもよく分からなかったのを覚えている。
 
次の日、学校に行くと先生や友人が「家は大丈夫だった?」とすごく心配してくれた。今思えば、韓国の先生や友人より、私のほうがよっぽど他人事に思っていたと胸がちくりと痛む。
 
みんなが経験した震災を経験していないことはずっと気になっていた。でも、だからといってできることもなくて。2011年の夏休み、久しぶりに戻った日本はなんだか灰色だったのを覚えている。節電で全体的にまちが暗いというのもそうだけど、日本という国が悲しんでいるのを感じた。
 
 
昨年度、1年間休学をしてインターンをした。インターンをした団体のうち1つは東北に活動拠点がある。この団体について知った最初のきっかけは教育学部で勉強をしていた友人がFacebookでシェアしていたからだったけど、東北で活動をされていると知って興味をもった。それから何かしらの形でこの団体と関わりたいと思っていた。結局東北でのインターンという選択肢はとらなかったけど、島根の方で関わらせていただいた。それに休学をしてすぐの2019年の6月には福島原発にも見学に行った。そこから父と2人で岩手にある奇跡の一本松目指して福島から車でずっと慰霊碑をまわった。震災のことは心にずっとあったけど、そうやって何かの行動を起こせるようになったのは大学生になってからだった。
 
 

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一本松を目指して車を走らせている途中の景色

 

2021年3月11日。10年前をそこまで強く意識をしていたわけじゃないけど、 たまたま飛行機のチケットを3月11日にとったから、なんとなく他の年よりあの日を意識していたと思う。出雲発の飛行機にのって、機内で手にとったJALの雑誌を読んでいると震災について触れていた。JALという会社がこれまで震災とどう向き合ってきたのかが綴られていた。そしてコロナのことも。それを読んでいるうちに、今年の3月11日はちゃんと黙祷がしたいと思った。さあ、どこで黙祷をしようか。どこか静かなところがいい。1人、震災の時間に目を瞑ろうか、と考えいたら、羽田空港で14:46に黙祷をするとアナウンスがかかった。ちょうど羽田空港内の喫茶店で作業をしていたので、そのアナウンスに合わせて黙祷をしようと決めた。

 
静かな30秒が流れた。
 
黙祷をしていたら、1年前の情景が浮かんできた。1年前の今日はコロナが深刻化し始めた頃。対応が分からなくて休業が断続的に続いていた。休校期間中、小学生が学校の代わりに時間を過ごせる居場所づくりのボランティアをしていたときだったので、2020年3月11日は、島根と東北を映像を繋いで黙祷をした。
 
目の前にいるのは震災より後にうまれた子たち。震災という言葉もよく知らない。「津波が来たの?」「みんな死んじゃったの?」と話す子供たち。無邪気な声が響く。あんまりよくわかってない子もいるみたいだが、映像を見ていた。そんな子供たちを見ながら、大津波が襲った地域でも震災の後に生まれた子たちがこんなに大きくなるほど時間が過ぎたのだなと思った。
 
あれから10年。久しぶりに日本で1年も過ごすと、11日が近づくにつれて震災に関する報道が増えていくのを肌で感じる。Facebookでも震災や被災地についての投稿をする人がいる人がいる。運転中聴こえてくるラジオでも震災のときの話をしている。
 
去年は3月2日に韓国から日本に帰ってきてバタバタしていた。 
今年は震災と向き合う人々の姿をゆっくり眺めながら、震災を受け止めていた。
 
私は直接震災を経験していない。経験してないはずなのに考えると胸が痛む。
これが日本人であるということなのかと思う。
日本を故郷と思っているから、痛いと思うのかと思う。 
故郷と思える場所が多い方が、流す涙も多くなる。
でもそのぶん人として優しくなれると思う。
 
10年前の3月11日のこと、それから過ごした10年の月日を考えながら、ただただ湧き上がった思いだけど、なんだか書き留めておくことに意味がある気がしたから、ここに記しておく。